「権威ある主の言葉」  02−10−27
                   ルカ4:31〜44
 会堂にひとりの人がいました。汚れた霊に取りつかれていると
言われている人です。周囲の人は、けげんそうにこの人を見て
いたに違いありません。神の言葉を聴き礼拝する会堂に、
ふさわしい人だとは考えていなかったでしょう。この人自身も、
自分がその場にいることをふさわしいとは考えていなかった
でしょう。
 主イエスは、その人に取り付いていた汚れた霊に向かって
言われました。「この人から出て行け。」
 すると悪霊は、その人から出て行ってしまいました。
主イエスの言葉は、その人の抱えていた「ふさわしくないもの」を
取り除いてしまう言葉でした。
 汚れた霊、悪霊と言うのはオカルト映画に出てくるようなもの
ばかりではありません。私たちを「神の前にふさわしくないものに
する」という意味では、私たちの抱えている罪も同じです。
私たちはオカルト映画の登場人物のような姿はしていなくても、
神と自分を引き離す「罪」を抱えています。そんな私たちの「罪」
にも、主は「この人から出て行け」とおっしゃってくださいました。

 悪霊や罪さえ従う主のこの言葉を受けているゆえ、私たちは
神さまの前で「ふさわしくないものを取り除かれた者」として
立てます。
 悪霊は何の傷も負わせなかったと記されています。
主の言葉は赦しを伴っています。それゆえ、罪による死も滅びも
私たちを襲うことはできません。主の言葉は、罪の赦しをもたらし、
私たちを滅びでなく救いで包み込む言葉です。
 私たちは、この主の救いの言葉を受け、大きな恵みのうちに
置かれている者です。
 しかしながら、時に私たちは、悪霊のように「構わないでくれ」と
叫びたくもなります。主の言葉よりも、自分の罪の方が力と権威を
持っていると思ってしまいます。しかし、自分は救われないと
思い込ませることこそ、サタンの願いです。

 そんな私たちに、主は繰り返し語りかけて下さいます。
「救いを疑う心よ、出て行け。」
 主は、罪を取り除き、私たちを変え、その恵みの内に居続け
られるように語りかけてくださいます。